平成建設のルーツ

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大工さんが創る家から

平成建設株式会社 古橋雄治

私の父親は、木造の家を専門で造る大工さんでした。
若い大工数名を集めて、大工さんの工務店を経営していました。
自宅の横に部屋を作って、そこに住み込みの大工さんが何人かいました。

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自宅の庭に加工場があって、丸太や角材が何本も山積されていて、毎日大工さんみんなが穴を開けたりかんなで削ったり、様々な加工をしていました。私が小さい頃は、そこが遊び場で走り回ったり、木のくずを掃除するのが仕事でした。そういいながら掃除していたのはほとんど母親で、私は邪魔していた方が多かったと思います。
木材はヒノキが多かったのでヒノキの匂いがいつも体にしみこんでいました。
今でもヒノキの匂いを嗅ぐと、小学生の頃夏の暑い日に汗まみれになって、加工場の掃除をしていたことを思い出します。

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父親の工務店は古橋工務店と言います。父親は無駄口を一切離さず、ほとんど休まず、黙々と木とを加工していました。たまに現場に見に行っても全く同じでした。本当に職人一筋と言う感じで、経営者という雰囲気ではなかったです。若い衆からは当然親方と呼ばれていました。

古橋工務店の造る家は大変頑丈だと言われていました。そんな噂を聞いて、やはり父親が造る物は良いものなんだと、ちょっと嬉しかった気がします。
その父親は、ずっと職人気質のまま続けて、若い衆が一人前に技術を身につけることができると、独立しろ、と促していました。
私は子供心で、独立させるなんてもったいないじゃん、と感じていましたが、父親は会社を大きくすることは全く興味がなく、逆に自分が大工の仕事の実務から放れてしまうのが嫌だったようで、その後いろいろな拡大するチャンスがあったりもしましたが、すべて現状維持の道を選択していました。

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そんな父親も脳梗塞をわずらい、大工を続けることができなくなりましたが、私が造る家は、当然父親が造っていたような頑丈な家を造ろう、と思いました。
しかし親父が造る家は良いところばかりではなく、良くないところもありました。

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それは、まず提案するプランについてですが、細かいところまで行き届かないということです。

というのは、打ち合わせからプランニング、材料や職人の手配、大工さんへの指示まですべて自分で行って、大工仕事まで自分で行っていたわけです。まあ昔の大工さんはそんな人が結構いたようですが、そうなると細かい打ち合わせの時間が取れないので、どうしてもプランは一般的になってしまいます。インテリアは、お客様に見本帳を渡しておいて、選んでおいてね。でおしまい、ということが多かったように思います。
そのため親父が手がけた家は、かなり頑丈ですが、良く似た間取りやインテリアだったような気がします。

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当時はお客様自体に、住まいに対する細かいこだわりが少なかったことや、家に対する情報が少なかったからだと思いました。
でも、マイホームは一生に一度か二度の大きな買い物です。お客様にとって本当に素晴らしいものを提案する必要があります。
私は、頑丈であることは当たり前ですが、お客様の未来の生活がしあわせになるような空間を提案したいと考えて平成建設をスタートさせました。

そして、住宅を創り続けて行くうちに、住まいにとって重要なことを「住まいの四か条」としてまとめてみました。

→ 住まいの4か条